改元は日付単位で起きる — 昭和64年が7日間しかない理由

改元は日付の単位で起きます。1月1日にまとめて切り替わるわけではありません。そのため改元のあった年には、ひとつの西暦年に2つの元号が同居します。昭和64年はわずか7日しかありません。平成31年も4か月で終わっています。どちらもこの仕組みの結果です。西暦との換算そのものは元号⇔西暦 変換でできます。この記事では、なぜ年の途中で切り替わるのかを追い、その結果として生まれる「書けるのに存在しない日付」まで見ていきます。

昭和64年は7日、平成31年は4か月

昭和天皇が亡くなったのは1989年1月7日です。翌1月8日から平成が始まりました。つまり昭和64年は、1月1日から1月7日までの7日しかありません。1989年生まれの人のうち昭和64年生まれなのは、1月7日までに生まれた人だけです。1月8日以降に生まれた人は平成元年生まれになります。

令和への改元は形が違いました。2019年4月30日に天皇が退位し、翌5月1日に新天皇が即位して令和になりました。平成31年は1月1日から4月30日までです。日数を数えてみます。1月が31日、2月が28日、3月が31日、4月が30日で、合計120日です。2019年はうるう年ではないので、2月は28日で数えます。残る令和元年は、365から120を引いて245日あります。

どちらの場合も、西暦の1年が2つの元号に割れています。「1989年は平成元年」「2019年は令和元年」と年だけで覚えていると、その年の前半にあたる日付をすべて取り違えます。

崩御の当日に変わった改元と、翌日に変わった改元

改元がいつ効くのかは、根拠になる決まりごとによって違います。大正と昭和は崩御の当日から改元しました。明治天皇が亡くなったのは1912年7月30日で、同じ日から大正元年です。大正天皇が亡くなったのは1926年12月25日で、同じ日から昭和元年です。

この2日は、ひとつの日付に2つの元号が付いた日になりました。1912年7月30日は明治45年7月30日でもあり、大正元年7月30日でもあります。公文書では新しいほうの元号を使うため、早見表はふつう大正元年として載せています。

平成の改元だけ形が違います。1979年に元号法ができて、元号は政令で定めることになりました。昭和64年1月7日に「元号を改める政令」が公布され、施行日は翌1月8日とされました。だから1月7日は最後まで昭和64年のままで、日付が二重になっていません。同じ「天皇が亡くなった日の改元」でも、根拠の法令が変わったことで境目が1日ずれています。

令和は譲位による改元です。2017年の特例法で退位が決まり、新元号は2019年4月1日に公表され、5月1日に施行されました。元号が施行前に公表されたのは、この回が初めてです。

元年の長さを数える

元年は改元日から12月31日までなので、長さが元号ごとにばらばらです。

元号元年の期間日数
大正1912年7月30日〜12月31日155日
昭和1926年12月25日〜12月31日7日
平成1989年1月8日〜12月31日358日
令和2019年5月1日〜12月31日245日

手で検算します。大正元年の1912年はうるう年なので366日あります。1月1日から7月29日までを足すと、31、29、31、30、31、30、29で211日です。366から211を引いて155日になります。平成元年は1989年の365日から、1月7日までの7日を引いて358日です。

昭和は元年と末年がどちらも7日しかありません。1926年12月25日から1989年1月7日までを数えると、間は62年と13日です。それでも年号は64まで進みます。両端の2つの年が、あわせて14日で使い切られているからです。「昭和64年生まれ」と「昭和元年生まれ」は、どちらも該当者が1週間ぶんしかいません。

広告

書けるのに存在しない日付

ここまでの帰結として、元号年としては書けるのに暦の上には無い日付が、改元のたびに生まれます。昭和64年1月8日は存在しません。その日はすでに平成元年1月8日です。平成31年5月1日と令和元年4月30日も、同じ理由で存在しません。

古い改元でも同じことが起きます。明治45年7月30日は、公文書の扱いでは大正元年7月30日です。大正15年12月25日も、昭和元年12月25日として記録されます。

見分けるには、4つの改元日を覚えておけば足ります。

改元前の元号の最終日新元号の初日
明治→大正明治45年7月29日大正元年7月30日
大正→昭和大正15年12月24日昭和元年12月25日
昭和→平成昭和64年1月7日平成元年1月8日
平成→令和平成31年4月30日令和元年5月1日

書類の生年月日を確かめるときは、年だけでなく月日まで見てください。元号⇔西暦 変換の「和暦 → 西暦」に月日を入れると、その和暦の日付が実在するかどうかを判定し、存在しない場合は正しい和暦を返します。なお、履歴書などに書く元号は、書いている時点のものではなくその日付の時点のものを使います。

明治5年までは足し算が効かない

もうひとつ落とし穴があります。明治5年までの日付は旧暦なので、月日が西暦と一致しません。新暦になったのは明治6年1月1日からです。改暦のとき、明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日とされました。西暦でいえば、1872年12月31日の翌日が1873年1月1日です。

つまり明治5年12月は2日で終わっており、12月3日以降の日付は存在しません。しかもこの月に限った話ではありません。明治5年3月10日のような日付を「1872年3月10日」に置き換える換算は、旧暦の期間を通してどこも合いません。年の対応はおおよそ付きます。ただし日付単位の換算はできません。早見表が明治について「1868年〜」と大まかに書いてあるのも、この事情によるものです。

まとめ

最終更新: 2026-09-01

広告